雑司ヶ谷霊園に眠る有名人は? – アクセス、園内マップ、駐車場などご紹介【現地レポート】

東京の南池袋にある雑司ヶ谷霊園。都心にありながらけやきやイチョウが立ち並び、雑木林のような自然を擁するこの霊園には、散策に訪れる方が多くいらっしゃいます。

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また、明治時代に設立されて以来、夏目漱石や竹久夢二など数多くの著名人・有名人が眠る場所としても知られています。どのような方が雑司ヶ谷霊園に眠っているのでしょうか。

雑司ヶ谷霊園の詳細と合わせて、著名人たちの半生、どのような晩年を経て永遠の眠りについたのかをご紹介。様々な背景を知ってから参拝をすれば、その感慨も深くなりそうですね。

都立 雑司ヶ谷霊園

   

住所東京都豊島区南池袋4-25-1
アクセス荒川線都電雑司ヶ谷駅から徒歩2分
費用一般墓 311.2万円〜+墓石代
費用を詳しく知りたい方はこちら
宗教宗派宗教不問
ペット埋葬不可

都立 雑司ヶ谷霊園は、1874年(明治7年)に開発された、多くの著名人が眠ることでも有名な公営霊園です。昭和37年以降、空墓所の再貸付は行われていませんが、短期収蔵施設(崇祖堂)と一時収蔵施設があります。口コミを見る

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東京の霊園には、有名人のお墓があるの?

今回ご紹介する雑司ヶ谷霊園だけではなく、東京都内の霊園には様々な有名人や著名人のお墓があります。

  • 雑司ヶ谷霊園
  • 多磨霊園
  • 青山霊園
  • 谷中霊園

などが有名ですね。

上記のような都立霊園、公営霊園は自由に参拝することもできます。最近では、有名人のお墓をめぐるツアーなども人気を集めているとか。

観光地として賑やかに巡ってしまってはいけませんが、その有名人たちの人生に思いを馳せ、歴史を感じながらの参拝は失礼なことではありません。

それでは、雑司ヶ谷霊園をピックアップしてみていきましょう。

雑司ヶ谷霊園とは

作家や音楽家など、数多くの文化人が眠る雑司ヶ谷霊園は、明治7年9月1日に開園しました。南池袋の住宅街にあり、10万平方メートルもの広大な敷地が広がります。様々な木々や花が見られ、季節折々の表情を楽しめる場所です。

昭和37年以降空き墓所の再貸付は行っていないため、有名人と共に眠ることはできませんが、自由に参拝することができます。

雑司ヶ谷霊園へのアクセス

静かな場所でありながら都心にある雑司ヶ谷霊園は、アクセスも良好です。
近隣3駅からは徒歩でのアクセスが可能。

  • 地下鉄有楽町線「東池袋駅」より徒歩約10分
  • 地下鉄副都心線「雑司が谷駅」より徒歩約10分
  • JR「池袋駅」東口より徒歩約15分

都電や都営バスの利用も可能です。

  • JR「大塚駅」前から都電に乗り換え、「都電雑司ヶ谷」より徒歩約5分
  • 都営バス利用:雑司が谷霊園入口より徒歩約15分

なお、駐車スペースは狭くなっているため、観光目的での車の利用は控えましょう。

都立 雑司ヶ谷霊園

   

住所東京都豊島区南池袋4-25-1
アクセス荒川線都電雑司ヶ谷駅から徒歩2分
費用一般墓 311.2万円〜+墓石代
費用を詳しく知りたい方はこちら
宗教宗派宗教不問
ペット埋葬不可

都立 雑司ヶ谷霊園は、1874年(明治7年)に開発された、多くの著名人が眠ることでも有名な公営霊園です。昭和37年以降、空墓所の再貸付は行われていませんが、短期収蔵施設(崇祖堂)と一時収蔵施設があります。口コミを見る

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雑司ヶ谷霊園にある有名人のお墓8選

それでは、実際に雑司ヶ谷霊園に眠る有名人を8名ご紹介していきます。人物の歴史や晩年も合わせてみていきましょう。

夏目漱石

夏目漱石は慶応から大正時代を生きた小説家です。

現在の東京都新宿区に生まれ、帝国大学(のちの東京大学)を卒業。教師などの傍ら小説を執筆。代表作「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「こゝろ」などが有名で、1984年から2004年までは1000円札の肖像にもなっていました。

晩年は胃疾患による吐血、幾度の胃潰瘍や痔に悩まされ、1916年(大正5年)体内出血を起こし死去。「明暗」が絶筆に。

その後遺体は解剖され、脳は現在も東京大学医学部にてエタノール漬けとなり保存されています。

竹久夢二

大正ロマンを代表する画家・詩人である竹久夢二は、1884年(明治17年)岡山県に生まれました。

学生時代から画家として活動し、数多くの美人画を残しています。「大正の浮世絵師」と呼ばれるなど叙情的な作風が愛され、書籍の装丁や広告物などのデザインも幅広く手掛けました。

晩年は海外を巡っていましたが、1933年(昭和8年)に結核を患って帰国。翌年に長野の療養所にて、最期に「ありがとう」の言葉を残し、49歳で亡くなりました。

竹久夢二の墓碑には、友人であった画家の有島生馬の筆で「竹久夢二を埋む」と刻まれています。

ジョン万次郎

本名「中浜万次郎」は、幕末から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した人物です。

14歳で漁に出た際に遭難、アメリカの船によって救出されました。鎖国中だった日本には戻れず、そのままアメリカで英語や航海術などを学び、1851年(嘉永4年)に日本に上陸。その後は翻訳や通訳、人材育成などで精力的に活動。日米和親条約の締結にも尽力したといわれています。

目まぐるしく動き続けましたが、脳溢血で倒れてからは穏やかに暮らし、1898年(明治31年)に72歳で亡くなりました。

なお「ジョン万次郎」という呼び名は、井伏鱒二の「ジョン万次郎漂流記」で用いられたことで広まったものです。

サトウハチロー

大正から昭和にかけて、詩人・童謡作詞家・作家として活躍したサトウハチローは、1903年(明治36年)現在の東京都新宿区に生まれました。

童謡の「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」や、歌謡曲では戦後の歌として印象強い「リンゴの唄」などを手掛けています。そのほかにも、小説の執筆や映画の主題歌作成など幅広く活動。

1953年(昭和28年)以後は童謡の詩作に専念して様々な賞を受賞しましたが、1973年(昭和48年)に心臓発作のため亡くなりました。

小泉八雲

1850年(明治37年)にギリシャで生まれた小泉八雲。出生名は「パトリック・ラフカディオ・ハーン」であり、1896年(明治29年)に日本国籍を取得して、小泉八雲と名乗るようになりました。

アイルランド移民として渡米後、ジャーナリストとして活動。そのなかで日本文化に魅了され、1890年(明治23年)に来日。その後、日本では英語教師や帝国大学(のちの東京大学)講師、小説家、民俗学者として活動しています。

1904年(明治37年)54歳の時に狭心症で亡くなりました。

金田一京助

金田一京助は、日本のアイヌ語研究の本格的創始者と言われる言語学者、民俗学者です。1882年(明治15年)に岩手県で生まれました。

帝国大学(のちの東京大学)に進学後、アイヌ語の研究を開始。以後、アイヌ語研究に一生を捧げましたが、1971年(昭和46年)に老衰による動脈硬化などにより89歳で死去。

その生涯で数百点の書籍や辞典の編著に関わり、「明解国語辞典」はベストセラーとなりました。

歌人の石川啄木と親交があり、困窮していた啄木を経済的に助けたというエピソードも知られています。

永井荷風

1879年(明治12年)現在の東京都文京区に生まれ、小説家として活動した永井荷風。

新進作家として「地獄の花」などを刊行した後、外遊を経て「あめりか物語」や「ふらんす物語」を刊行しました。花柳界に興味が移ってからは「つゆのあとさき」などの作品を発表。1952年(昭和27年)には文化勲章を受賞しています。

晩年は孤独に過ごし、1959年(昭和34年)自宅に通っていたお手伝いさんが遺体を発見。79歳でした。胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺だったといわれています。

なお、本人は荒川区にある浄閑寺への埋葬を希望していましたが、父の設けた墓域がある雑司ヶ谷霊園に葬られました。

東條英機

東條英機は、陸軍軍人・政治家であり第40代内閣総理大臣です。

在任中に大東亜戦争(太平洋戦争)を開戦、権力の強化を狙って陸軍大臣や参謀総長も兼任しました。戦争で日本が降伏した後に自殺を図りますが、治療により一命を取り留めます。

そして連合国による東京裁判にて起訴され、絞首刑の判決を受けて1948年(昭和23年)64歳の時に巣鴨拘置所で死刑執行されました。

辞世の句として「我ゆくも またこの土地にかへり来ん 国に報ゆる ことの足らねば」など4句を残しています。

雑司ヶ谷霊園の口コミ

雑司ヶ谷霊園を見学された方の口コミをご紹介します。

霊園として非常に有名であり、交通の便が良く、地下鉄やバス、都電などが通っている。何より自宅から近く、自転車で行ける。少し坂がある。

閑静で都心とは思えない趣がある場所。日当たりがよく、人通りも多すぎず少なすぎず。散歩するのにも気持ちの良い場所だと思う。

付近にそれらしい施設が何件かあるが、利用の仕方が良くわからない。駅から近いのでお手洗いにも困らない。

管理もきちんとされており、普通に利用しやすいと思う。整いすぎず風情もあって利用しやすいと思う。

他の口コミも見たい方はこちらから

実際にお墓参りをすることはできるの?

都立霊園である「雑司ヶ谷霊園」は一般の方の参拝も可能です。

有名人のお墓をめぐるときは、霊園管理事務所で墓所を示した散策マップをもらうといいでしょう。この散策マップは、文化観光課窓口や観光情報センターで配布しているほか、豊島区の公式HPからダウンロードすることも可能です。

ただし、霊園はあくまでも故人が静かに眠る場所です。墓所内を荒らすようなことや迷惑行為は慎み、マナーを守った参拝を心がけましょう。

有名人のお墓を参拝して、歴史に思いを馳せてみませんか?

アクセスもよく、気軽に散策できる雑司ヶ谷霊園。四季折々の自然を楽しみながら、有名人のお墓を参拝するというのも素敵ですね。

人物の半生やその歴史を知り、ゆっくり思いを馳せての参拝はまた違った印象を得られるかもしれません。マナーを守りながら、静かに眠る有名人たちを訪れてみてはいかがでしょうか。

都立 雑司ヶ谷霊園

   

住所東京都豊島区南池袋4-25-1
アクセス荒川線都電雑司ヶ谷駅から徒歩2分
費用一般墓 311.2万円〜+墓石代
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宗教宗派宗教不問
ペット埋葬不可

都立 雑司ヶ谷霊園は、1874年(明治7年)に開発された、多くの著名人が眠ることでも有名な公営霊園です。昭和37年以降、空墓所の再貸付は行われていませんが、短期収蔵施設(崇祖堂)と一時収蔵施設があります。口コミを見る

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