松田優作の思いや姿を表す墓石
松田優作の墓は、都内最大級規模の民営霊園・築地本願寺西多摩霊園にある。華やかだった役者像とは違ってその墓は意外にも簡素でシンプルにみえる。名前はなく、あるのは「無」の一文字のみ。映画監督小津安二郎と同じ墓碑だ。家人(女優・松田美由紀)の思いを表したものとも言われているようだ。
一方、人から言われて初めて気づいたのだが、このお墓は上の樹の部分が松田優作のパーマネント・ウエーブのあの髪型で、下の部分がまるでジーパン姿を模したものに見えないだろうか。どこか愛らしくもあり破天荒な松田優作らしい墓であると思う。
新しいヒーロー像を造形し、時代を牽引
TVドラマ「太陽にほえろ!」における松田優作の最期は、今でも鮮烈な映像として皆の脳裏に残っているのではないだろうか。
「なんじゃ、こりゃああ」(彼のアドリブとも言われる)と血まみれの自身の体に驚きながら呻くように叫ぶように果てていったラストシーン。マカロニ刑事(萩原健一)に続く新米刑事の殉職。当時その死に方が持つあっけない虚無的な感じと同時に、鮮烈な「かっこよさ」のようなものが多くの人々を痺れさせた。
それはまた戦後の大スターである石原裕次郎(同じドラマでのボス役)が具現していた陽性(太陽や湘南)のイメージとは異なる、ネガ・フィルムのような新しいヒーロー像の誕生でもあった。
どこか印画紙に通じるようなその印象は松田優作の生誕の地が下関という山陰に程近い場所であることや、彼自身の履歴が持つ複雑な生い立ちも背景にあったのかもしれない。
40歳にて夭折、早すぎる死は神話と化す
しかしジーパン刑事の死から、その後の松田優作の瞠目すべき活躍ぶりが始まることになる。
例えばTVドラマ「探偵物語」における型破りでアナーキーな、アンチ・ヒーローの役柄。そして映画監督村川透と組んだバイオレンスものの一連の映画「蘇える金狼」や「野獣死すべし」。これらの活劇は紛れもなく時代に先駆けて一つの道標のようなものを形成した映画だったといえる。
B級映画にみられがちな上記映画群を今も評価する映画評論家は多い。当時も松田優作はどこまでも格好よく、役者として次にどこへ向かうのかが常に注目の眼差しで見られる存在であったといっても決して過言ではないだろう。
そして「陽炎座」や、「家族ゲーム」における飄々とした青年役を演じた後、「それから」の代助役などの文芸もの路線にも転じてゆく、変化して止まなかった進化の姿。松田優作は80年代というバブル期を経て、昭和が終焉を迎える時のちょうど昭和後半の煌きを代表する表現者のひとりだった。
彼の遺作となったハリウッド初進出の映画「ブラック・レイン」での、新しいヤクザ像を演じた鬼気迫る演技。その後の、40歳という夭折とも言っていい突然の若すぎる死。だがそれまで演じてきた数多くの鮮烈な(アンチ)ヒーロー像を通じて、松田優作はその死によってジェームズ・ディーンと同じようにいつまでも語り伝えられる役者として神話になったとも言える。