池上本門寺の、戦後日本を代表するスーパースター・力道山の墓
ご存知の通り、敗戦によって打ちひしがれた日本人の前に登場した力道山は、アメリカ仕込みのプロレスという新しい格闘技のヒーローとして登場した。
自分よりも一回りも二回りも大きな外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒し、当時の日本人の気持ちを一気に開放させた。
当時、新橋駅前の街頭テレビの前には2万人もの人が群がったという逸話も残す、まさに戦後日本を代表するスーパースターであった。
そんな力道山の墓は、東京都大田区にある名刹・池上本門寺にある。墓の脇にある腕組みをした力道山の銅像は、死してなおヒーローであろうとする力道山の意志を雄弁に物語っている。
昭和の傑人の墓に沿って、力道山の墓域へと辿り着く
力道山の墓参りは、池上本門寺の墓域に入ったところから始まっている。何故ならば、墓域の入口には、「力道山の墓所はあちらです→」という大きな案内板が立っているからだ。
力道山の墓は池上本門寺の墓域の奥の方にあるが、そこまでに行く道の両脇には、生前、力道山が多少なりとも関わった政界、財界、マスコミ界、興行界、裏世界の大物の墓が、あたかも、力道山の墓へ辿り着くための「前座」の如くズラリと並んでいるからである。
日本プロレスコミッショナーを務めた大野伴睦(自民党副総裁)の墓を始め、力道山が経営したリキアパートのために赤坂の土地を斡旋した「昭和の黒幕」・児玉誉士夫。
旗揚げ時に毎日新聞を後援につけるために動いた永田雅一(大映社長)や今里広記(日本精工社長)、関東におけるプロレス興行を仕切った町井久之(東声会会長)、太刀川恒夫(東京スポーツ会長)の墓などである。
それらの墓を横目で見ながら力道山の墓まで歩くのも一興。それこそ、戦後の一時代の残滓を肌で感じることができる散歩道ではないかと思うのである。
数多くの豪快なエピソードを残す
人々の前では常に超人的なヒーローであろうとした力道山は、数多くの豪快なエピソードを残している。
例えば、飲みに行ってはビールのコップをそのままバリバリと食べ、周囲の人を驚かすのを得意芸にしていたという。
また、当時、日本に3台しかなかったというガルウィングドアと世界初のガソリン直噴エンジンを搭載したメルセデスベンツ300SLを乗り回し、白バイを見つけると逆にスピードを上げ、追ってくる白バイを挑発。
ようやく追いついた警官が、運転しているのが力道山だと知ると「あんまり無理をしないでください」と一礼して退散したという、現在では考えられないような逸話も残している。
そんな力道山の死に際のエピソードもまた彼のヒーロー譚の一つであろう。
力道山は赤坂のナイトクラブで暴漢に刺された傷がもとで亡くなるのであるが、一説によると、手術後に飲水すら制限された安静状態であったにも関わらず、付き人に酒と寿司を買いに行かせ、見舞客の前で豪快にそれらを飲食したために体調が急変しての死だったとも言われているのである。