世界的評価の高い日本を代表する映画監督
北鎌倉の円覚寺にある映画監督小津安二郎の墓は、そこに標されている「無」の一文字と、酒好きだった故人を偲んでお酒の小瓶が常に絶えないことでもとても有名な場所だ。
小津安二郎の映画は、独特のローアングルと計算された端正な画面作り、父と娘、婚姻と死の繰り返される物語など一見日常のありふれた話に根差しながら独自の味わいを表現し、世界的にも高い評価を得ている。
小津安二郎は誕生日と同じ日の、ちょうど還暦を迎えた日に亡くなっている。享年60歳。始まりと終わりが同じ日という、偶然とはいえその生の閉じ方をみてもあたかも映画作りと同じで正確無比と完璧さを象徴しているようにも思えるから不思議だ。
小津安二郎は戦前のサイレント映画製作、戦中の兵隊召集などを経て復員、戦後には「晩春」「麦秋」「東京物語」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」などの作品を生み出し映画史に確固たる足跡を残している。
激動の時代背景が独自の視点を醸成
小津安二郎が成人となって活躍の場へ出てゆく時代は、二十世紀という映像の時代の幕開けから始まり、文化史的にもダダイズムや1920年代のドイツ表現主義、シュールレアリズムの活動、そしてジャズエイジと呼ばれるような狂騒の時代を経て、世界恐慌が起こり、戦争へと突入していった混乱の時代とちょうど重なっている。このような激動と不安の時代に培われた感覚や数々の経験を経ることで代表作「東京物語」が誕生したと言えるだろう。
「東京物語」はどこにでもある一家族の、静かな崩壊の物語でもある。そして本当の優しさが実の子どもたちではなく、もはや赤の他人(義理の娘役である原節子)の中にしかないというような逆説を通じて謳われる主題は、今日観ても少しも古びていない。むしろ家族と個人の亀裂を予見しその先駆けとなっており、時を経ても人を惹き付けてやまない。
英国映画協会「Sight&Sound」誌が選ぶ「映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン(2012年)」第1位を獲得するなど、時を経ても絶大な支持を獲得し続けている。
北鎌倉・円覚寺の墓碑には「無」と記される
小津安二郎の墓碑に彫られた「無」の文字は、円覚寺の住職によって表されたものらしいが、その由来は戦地から家族宛てに送った小津安二郎の手紙の文面の感想に依っているというのが通説だ。
いずれにしても「無」が彫られた小津の墓石をじっと見ていると、墓石の表面がまるで映画のスクリーンのように見えてくる…。それは映画が溶明から始まりスクリーンにさまざまな人生の影たちを映し出し、溶暗の彼方へ消えてゆく世界にどこか似ている。無から無へ消えてゆく間に、束の間の生の映像が輝く。小津安二郎の墓はまさにそんな映画のスクリーンそのものだ。