内戦時代の処刑場の跡地、今でも約600体の遺骨が悲しく眠ります。
ヘトヘトになりながら、一日中大量の薪を割る若いお坊さんたち。
樹齢300年の木々が生い茂るお寺
カンボジアの首都プノンペン郊外にあるお寺“ワット・チョン ポッ クエッ”。カンボジアの人に「そのお寺は何で有名なんですか?」と尋ねると、誰もが口を揃えて「木です」と答えが返ってきます。
広々とした境内は開放感がいっぱいで、巨大な木がカンボジアの灼熱の太陽を遮ってくれてます。熱帯のこの国にとって木陰はとてもありがたい場所なのでしょう。多くの木は樹齢300年程、中には500年という大木も枝を広げていました。日本にはない木で、現地の人は「ゴウキ」と発音してました。
内戦時代のキリングフィールド
カンボジアの人からすると木陰がいちばん有名なようですが、私たち外国人から見ればもっと注目したいものがあります。
このお寺は元は処刑場、キリングフィールドだったのです。キリングフィールドとう名前はイギリス映画のタイトルにもなり、日本でも大ヒットしました。プノンペンにある処刑場がとても有名で、観光コースには必ず含まれています。ただこの名前は特定の処刑場を指しているのではなく、処刑場全般の名称なのです。その中の一つがここでした。
カンボジアにはポルポト時代という世界史にも大きく残る悲劇の内戦がありました。当時の国民800万人のうち、200万人から300万人が理不尽に殺害されたのです。独裁者ポルポトは「全員が平等の国にするには全ての国民は農業だけやっていればいい。知識人はいらない」と、教師、学者、医者、そして僧侶までが犠牲になったのです。
ここワット・チョン ポッ クエッの慰霊塔には300体の遺骨が安置され、更にはまだ掘り起こしてない遺骨も同じくらいの数はあるだろうということでした。
内戦後に建てられたお寺ですから、まだ40年ほどの歴史でしょう。境内には、2001年設立と刻まれた火葬場もありました。東南アジアでは火葬場が付いているお寺が結構あります。ここでもお葬式から火葬、埋葬まで全てを執り行うことができるのです。
大量の薪を割り続ける若いお坊さん
そしてとても興味深かったののが、若い多くのお坊さんが炎天下の中をひたすら薪を割っている姿です。
フラフラになりながらも薪を割り続ける若いお坊さん達。とても話しかけられる雰囲気ではないので、近くで目を光らせている中年のお坊さんに聞いてみました。色が黒く、鋭い眼光、筋肉が盛り上がった体はいかにも鬼教官です。
「ここは僧侶だけで100人、職員や住み込みの信者も含めると200人以上が住むお寺です。この薪は火葬にも使いますが主に料理用です。一食で150㎏のお米を炊いておかずも作るのです。それには毎日大量の薪が必要なんですよ。若い僧侶には一日この作業をやらせてます」
修行の一つなのかもしれませんが、それにしても若いお坊さんたちが辛そうです。今やカンボジアだってガスの時代、他のお寺ではガスが使われているのは当たり前のことです。一日中やっているのですから、もっと他の勉強もしたいでしょう。
恐る恐る教官のお坊さんに聞いてみました。「なんでガス使わないんですか?」「だって、爆発したら危ないでしょ」とのこと。
若いお坊さんからの「ガス入れて下さいよ~」って泣き声が聞こえてきそうです。