文豪達はご近所墓が好き?
太宰治の墓は、三鷹の禅林寺にある。
太宰治の墓の斜向かいには森鴎外の墓もある。
文豪の墓の近くに別の文豪の墓があるというケースは、この禅林寺の他に、川端康成の墓の隣に堀口大學の墓がある鎌倉霊園や、谷崎潤一郎の墓の直ぐ近くに芥川龍之介の墓がある巣鴨・慈眼寺などが有名である。
お互い影響を受け合っていたり、論争を交わしたライバルであったり、一方がもう一方に対して私淑していたりと、二人の関係は様々であるが、そのどちらかが自殺をして亡くなっているという共通点があるのが不思議である。
入水心中は永遠の謎
ご存知の方も多いと思うが、太宰治はこの禅林寺から程近い玉川上水で、最後の愛人・山崎富栄と入水自殺を図っている。
発見された時、二人の遺体は赤い紐で結ばれていたといいうが、その自殺の原因に関しては、すでに肺病を患っていたから自殺したのだとか、自暴自棄になっていたのではないかとか、あるいは実は死ぬ気はなかったのに彼女に無理矢理誘われたのでは?など、いろいろな説がある。
ただし、本当の理由は誰にも分からない、それこそ永遠の謎なのである。
死の直前に書かれた「人間失格」は自伝的な小説として、彼の死の謎の解明を求める多くの読者によって読み継がれ、今や600万部を超える大ベストセラーとなっている。
太宰治のコンプレックス
実際の太宰治も「人間失格」の主人公同様に、青森県の裕福な地主の息子として生まれ、何不自由のない幼少期を過ごすが、東京に出てきて言葉のコンプレックスにぶつかることになる。
彼が自分のペンネームを太宰治(だざいおさむ)としたのは、本名の津島修治(つしましゅうじ)だと、津軽弁の”ツスマスンズ”と発音してしまうからではないかということを彼の師であった井伏鱒二が語っている。
さらに彼は、自分の訛りと同様に、自分の家に対してもコンプレックスを抱いていたようで、例えば、『苦悩の年鑑』という自伝的作品の中で「私の生まれた家には、誇るべき系図も何も無い。どこからか流れて来て、この津軽の北端に土着した百姓が、私たちの祖先なのに違いない」というようなことも語っている。
津島家の家紋は鶴の丸紋
しかし、その一方で、太宰治が、生前に唯一、残した全集の表紙には、本人の意向を強く反映し、自身の揮毫で「太宰治」という文字と生家の家紋である鶴の丸紋が型押しされている。
ちなみに鶴の丸紋は、津軽出身者に特に多い家紋で、津軽藩士の末裔で僧侶、小説家、参議院議員として多彩な才能を発揮した今東光氏や、弘前市出身の元関脇・若の里(現在は西岩親方)等がこの家紋を持っている。
太宰治の個性とは?
鶴の丸紋を家紋として使うとは、どういうことでしょうか。
私は、ここに、彼が持っていた自分の生まれに対するコンプレックスと同時に抱いていた密かなプライドのようなものを感じる。
恐らく、このコンプレックスとプライドという矛盾した二つの感情の同居にこそ、太宰治という作家の本質があるのではないだろうか。
そして、彼の墓にもしっかり刻まれている全集と全く同じ書体の太宰治の名前と鶴の丸紋は、まさに太宰治という個性をありのままに表現しているように思える。