日本を代表する映画監督・溝口健二の古風な佇まいの墓
溝口健二は日本を代表する映画監督として黒澤明、小津安二郎と並び称される世界でも名高い映画監督の一人である。
その影響は仏ヌーヴェルヴァーグの旗手ゴダールなどにも及んでいる。
彼のお墓は池上本門寺の子院である大坊本行寺の境内にある。溝口は東京の生まれであるが映画の仕事で京都とも縁が深く、京都満願寺にも分骨墓がある。
池上本門寺はそれこそ墓域の百花繚乱、名だたる著名人が目白押しの寺院で、墓マイラーにとっては聖地の場所の一つと言える。
絵師の狩野家、紀伊徳川家や米沢藩上杉家などの歴代の大名から、幸田露伴などの作家、大野伴睦などの政治家、児玉誉士夫などの実業家、松本幸四郎、片岡仁左衛門を始めとする歌舞伎役者、永田雅一などの映画人、栗島すみ子などの役者、力道山、そのほか幅広い裾野をもつ歴々が眠る一大墓所である。
端正と情緒の女性描写に秀でた映画作家
端正な印象が際立つ映画作品の風情とは異なり、溝口の人生は波乱万丈であったとも言えるだろう。
元々はデザイン関係の仕事で弟子入りし、俳優と親しくなったことで日活に出入りするようになって映画監督の道へ進んだという異色の経歴。
また私生活では喧嘩殺傷事件の類に見舞われて一時謹慎を余儀なくされて、その後の低迷期やスランプなども続き、映画監督の人生としては決して順風万帆とは行かなかったようにも思われる。
しかし亡くなる数年前に転機が訪れ、名女優の田中絹代と組んだ作品「西鶴一代女」でヴェネツィア国際映画祭国際賞を受賞してから、翌年「雨月物語」で同銀獅子賞、さらに翌年にも「山椒大夫」で再び同銀獅子受賞という3 年連続の偉業を成し遂げて、一躍世界の溝口の名を決定的にした。
その作品は、古典や文芸ものをベースとしながら、下町情緒の表出に特徴をもち、中でも女性の凛々しさ、対する男の浅はかさなどを冷徹に描く一方で、画面作りにおいては端正かつ無駄を排した優美な絵姿に拘ったようにも思われる。
浮沈を超えた映画人生
溝口のお墓は友人であった新派の女形役者花柳章太郎の隣に並んで建っている。墓石の横には彼の映画のタイトルと共にキネマ旬報での順位が標された墓碑が建っている。
池上本門寺は筆者が勝手に名づけている「人生の並木道」という散歩コースの区域に入っている。人生の並木道と名づけたのは幼稚園から墓場まで一通り揃っているコースだから。
かつて後輩の大島渚監督が、最初から首尾一貫した作品を制作した小津に比較して、溝口は模索の時期が続いたとの感想を洩らしたと言うが、さまざまな人生の並木道の浮沈を超えて、溝口は最後に世界の溝口になったといえるのではないだろうか。