古都・奈良の文化財の一部として世界遺産にも登録されている「東大寺」。そこには深い歴史があり、東大寺の広大な敷地の中にはたくさんの貴重な建築物が残されています。
そんな東大寺ですが、境内にはお墓がありません。東大寺にはなぜお墓がないのでしょうか。また、東大寺とゆかりの深いお寺などでお墓に入れたりしないのでしょうか。
この記事では、東大寺の歴史や寺院内の見どころをご紹介するとともに、「東大寺のお墓」ともいえる東大寺末寺「空海寺」の天平墓苑をご案内します。
世界遺産「東大寺」とは
東大寺は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院です。金光明四天王護国之寺ともいい、奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺とされています。1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されました。
東大寺の創建は、奈良時代の頃、聖武天皇が1歳にして亡くなった皇太子を追善するために建立した「金鍾山寺」が始まりと言われています。金鍾山寺は、良弁(のちの東大寺初代別当)を筆頭に9人の僧に管理をさせ、その後、国分寺と国分尼寺が建立された際に「大和金光明寺」に昇格し、東大寺の前身である寺院となります。
740年(天平12年)2月、聖武天皇は、人々が盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)を作り信仰する場面を見て、盧舎那大仏を作ることを決意します。
この盧舎那大仏が、今でいう「奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)」です。
聖武天皇は、華厳経の教理や大仏の造立に関する研究などをしてから、工事に取り掛かりました。金鍾山寺にてこの大仏が完成すると、それに伴って時代をかけて建立が繰り返され今の東大寺の形へとなっていったのです。
東大寺は現在までに、平重衡による焼き討ちや三好・松永の乱により、建物のほとんどが焼失してしまう憂き目にあっています。
また途中、120年間も大仏が雨ざらしになることもありましたが、そのたびに復興を遂げており、現在ではさまざまな見どころのある日本有数のお寺になっています。
東大寺の見どころ
以下では、世界遺産「東大寺」の見どころをご紹介していきます。
東大寺大仏殿【国宝】
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏像が安置してある場所です。
現在まで2度も焼失していますが、鎌倉時代と江戸時代に再建されています。再建の際には、元の大きさよりも少し小さくなっていますが、今でも世界最大級の木造建築として人々に親しまれています。
大晦日から元旦にかけては正面にある唐破風の下の観相窓が開かれ、そこからは大仏の顔を拝見できます。
法華堂(三月堂)【国宝】
東大寺の創建前からある金鐘寺のお堂として建てられたものが法華堂(ほっけどう)です。
創建前は羂索堂と呼ばれており、現在の名称になったのは旧暦3月に行われる法華会のためで、別名「三月堂」とも呼ばれています。
内部には不空羂索観が祀られていて、奈良時代からの貴重な遺構として東大寺の中では一番古い建物です。また、正堂と霊堂が天平時代と鎌倉時代という異なる時代に作られており、時代の違う建築の美しさも堪能できます。
二月堂【国宝】
旧暦の2月にお水取りと呼ばれる火を使った行事が行われるため、二月堂(にがつどう)と呼ばれます。
寛文7年、お水取りの最中に焼失してしまい、現在の建物として再建されました。
本尊には大観音と子観音と呼ばれる2体で十一面観音像とする大仏がありますが、絶対秘仏として誰も見ることは許されません。
戒壇堂【重要文化財】
日本初の「受戒をする場」として設けられたのが戒壇堂(かいだんどう)です。
754年に唐から招かれた鑑真によって当時の聖武上皇が戒を授けてもらい、翌年に戒壇院として創建したものが元になっています。
戒壇院の頃は戒壇堂だけでなく僧坊、廻廊、講堂などが備えられていましたが、江戸時代までに3回焼失しています。そのため、現在では講堂と千手堂だけが復建されて残されています。
南大門【国宝】
南大門(なんだいもん)は、天平時代に創建された門ですが平安時代の頃に一度倒壊してしまい、現存するものは鎌倉時代に再建されたものです。この南大門は、中国の宋から取り入れた建築様式である大仏様によって建設されていて、歴史的にも貴重な遺構とされています。左右の門の中には金剛力士像が安置されており、日本最大の山門としても知られています。
転害門【国宝】
東大寺内は焼き討ちや失火、戦火によってさまざまな建物が焼失していますが、この転害門(てがいもん)に限っては焼失することなく昔から今まで現存しています。一度鎌倉時代に改変されたことがあるものの、ほとんどが天平時代の建築様式を反映したものなので歴史的にも価値のある門です。境内には正倉院の西にあって、堂々とした様相を呈しています。
俊乗堂
俊乗堂(しゅんじょうどう)は、元禄時代に、重源上人を祀るために建設されたお堂です。鐘楼の北ほどにあって、堂内の中央には国宝である重源上人坐像が安置されています。
重源は、焼失した東大寺の大勧進職に任命されて復興を遂げた神仏です。その際には、宋の建築様式を取り入れた東大寺を再建しています。
開山堂【国宝】
開山堂(かいさんどう)は、東大寺の開山をした良弁僧正が祀られているお堂です。そのため良弁堂(ろうべんどう)とも呼ばれており、国宝にも指定されています。
堂内には僧正像が安置されていて普段は中に入ることはできませんが、12月16日に営まれる良弁忌の時だけ拝観が可能です。拝観の際には時間制限も設けられています。
東大寺ミュージアム
東大寺の境内、東大寺総合文化センター内に2011年10月に開館した展示施設です。1300年もの長い歴史を誇る東大寺の寺宝を収蔵しており、国宝や重要文化財など数多くの展示物を通じて、東大寺の歴史と「東大寺の意義」を知ることのできる施設になっています。
入館料は大人(中学生以上)が600円、小学生は300円です。
東大寺にお墓はあるの?
東大寺には、お墓はありません。また東大寺ではお葬式が執り行われることもありません。
東大寺の僧侶が亡くなった場合でも、そのお葬式は他のお寺にお願いすることになっています。
その理由は、東大寺はもともと「仏教を学ぶ場所」であり、すべての生命の繁栄を願う場所として作られた寺院であるため、そのようになっているとのことです。
しかし東大寺の境内にはお墓はないものの、東大寺の末寺である「空海寺」には東大寺と関係の深い墓地があります。
空海寺の境内には、東大寺の歴代僧侶と寺族の墓があり、永代供養墓「天平墓苑」は東大寺の出仕により開設法要が行われた東大寺ゆかりのお墓となっています。
《墓所案内》空海寺 天平墓苑
空海寺は、正倉院と東大寺のすぐ横に位置し、近鉄奈良駅より徒歩約20分の場所にあります。
華厳宗大本山東大寺の末寺で、その名の通り弘法大師「空海」によって開基されました。空海が草庵を営み、自ら彫刻した秘仏「阿那地蔵尊」を堂内の石窟に安置、本尊としたのが始まりとされています。
東大寺の末寺であることから八宗兼学(8つの宗派の教義を併せて学ぶこと)の伝統を受け継いでおり、空海寺では華厳宗と真言宗の二宗を受け継いでいます。
東大寺歴代僧侶、寺族、有縁者の墓地が多く建立され、由緒ある寺院墓地としても次第にその名を知られるようになりました。
天平墓苑は空海寺境内にある自然豊かな永代供養墓です。造成前の発掘調査において天平時代の遺物が出土したため「天平墓苑」と名づけられました。約1,000㎡の広さの墓苑に、3種類の永代供養墓と一般墓を設置しています。
永代供養墓は、樹木葬「いのり」、夫婦墓「こみち」、合葬墓「ともしび」の3種類、それと従来型の一般墓地「ぼだい」が用意されています。3種類の永代供養墓は宗旨宗派を問わず利用できますが、一般墓地は、華厳宗・真言宗専用の墓地なので檀家になる必要があります。