古風で重厚な墓には、今も花や色紙が溢れる
女優・大原麗子のお墓は千歳烏山のいわゆる「世田谷の小京都」と呼ばれる寺町の妙壽寺にある。
妙壽寺は法華宗の寺院で、境内には立派な竹林が茂り、門の入口付近には宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ~」の詩碑も建てられている。
また墓へと向かう参道沿いには、鍋島藩家から移譲されたと言われる切妻造りの見事な書院風建築もある。
参拝した時はちょうど桜が満開の日であった。大原麗子の墓には沢山の花や色紙が添えられていたが、おそらく途切れることなく常に供されているに違いない。
今も変わらず愛され続けている女優を忍ばせる光景であった。
癒し系女優の走りとして時代を切り開く
大原麗子は今で言うところのいわゆる「癒し系女優」の先駆けのようなスターであった。
清楚な感じでありながらどこか小悪魔的でコケティッシュな雰囲気をたたえた役柄において一世を風靡した女優であった。
大河ドラマ「春日局」の主演を始め、映画「網走番外地シリーズ」や「男はつらいよ」のマドンナ役など数多くの代表作を残した。
だが何よりも多くの人に知れ渡り印象に残ったのは、某ウィスキーの「少し愛して、なが~く愛して」のCMだったように思われる。
そこで演じられていたのは負けん気が強いが茶目っ気もあるどこまでも愛らしい感じの女性像であった。
最期は独りで亡くなっていたということだが、その一生はなが~く愛された女優冥利に尽きる時間旅行だったのではないかと思う。
世田谷・千歳烏山の寺町の一角にある妙壽寺
大原麗子が眠る妙壽寺がある地に寺院が多いのは、関東大震災後に浅草や築地、荒川近辺などにあった寺が移動してきたためといわれる。
それは当時の行政による都内墓地の郊外への移転積極策などが背景にあるようだ。
この辺一帯は元々徳川幕府の御料所で、地盤が堅固で「良質な」場所だったことも移転への後押しの材料になったという。
そのような経緯もあって江戸時代の喜多川歌麿(浮世絵)や為永春水(戯作者)、宝井其角(俳諧)の墓も当地に移された。
その他、演芸の三遊亭圓生、内海好江、将棋の升田幸三、俳優の小池朝雄、漫画家の園山俊二など数多くの著名人の墓がある。
妙壽寺散策の折には、ぜひ希代の名人たちの墓参にも訪れてみたいものだ。