報恩謝徳の想いを根底に建立された日本最大の禅寺、臨済宗妙心寺派大本山「妙心寺」では、重厚な歴史とともに積み重ね研鑽されてきた禅の精神に触れることができます。ここでは妙心寺の歴史や見どころをご紹介します。
妙心寺の由来 – 南北朝時代から続く歴史
妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、山号は正法山(しょうぼうざん)と称し、正式名称は「正法山 妙心禅寺」です。開山は関山慧玄(かんざんえげん)、開基は花園法皇です。本尊は釈迦如来、寺紋は花園紋(妙心寺八つ藤)となっています。
妙心寺の教えである「一流の禅」は、インドの達磨大師から中国の臨済禅師を経て、日本に伝来しました。
1337年、第95代天皇でもあった花園法皇が「花園御所(離宮萩原殿)」を禅寺に改め、その後、宗峰妙超禅師が「正法山 妙心寺」と命名、建立されたのが臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺のはじまりです。
なお、名前の由来は、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉(まかかしょう)に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」(「最高の悟り」という意味)という句から取ったものと言われています。
1399年(応永6年)に「応永の乱」が起こり、足利義満が妙心寺を没収、その際に「龍雲寺」と改名されることを余儀なくされます。そこで流派は一時途絶しますが、1432年(永享4年)、日峰宗舜禅師により中興を果たします。その後「応仁の乱」で一旦は焼失するも、約30年の年月をかけて復興と境内地の拡大が行われ、約700年の歴史を紡ぎ現在に至っています。
京都の禅寺には、五山十刹(ござんじっさつ)などの室町幕府の庇護と統制下にあった「禅林」または「叢林(そうりん)」と呼ばれる一派と、それとは一線を画す在野の「林下(りんか)」と呼ばれる寺院がありました。妙心寺は、大徳寺などとともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院とされています。
3,400ヵ寺を超える臨済宗妙心寺派の大本山
妙心寺は、塔頭(山内寺院)46ヵ寺、末寺は日本をはじめ世界各国にわたって約3,400ヵ寺、在籍する僧侶数7,000人を超える臨済宗妙心寺派の大本山です。妙心寺派の寺院は、日本だけでなくハワイやロサンゼルス、スイス、台湾などにもあります。
臨済宗の寺院は日本国内で約6,000ヵ寺あると言われていますが、妙心寺派の寺院はその過半数以上を占める臨済宗の最大宗派ということになります。
関連機関としては花園大学、花園高校、花園中学校、洛西花園幼稚園などがあります。
妙心寺塔頭のうちの一つ「寿聖院」は、関ヶ原の戦いで有名な石田三成が創建し、石田一族の菩提寺となっています。
また、妙心寺塔頭「大法院」には兵法学者であり、坂本竜馬を初めとする幕末の維新志士に多大なる影響を与えた佐久間象山の墓所があります。
大本山妙心寺の見どころ
京都市内北西部に位置し、約12ヘクタール(12万m2)の広さを誇る妙心寺は、広大な土地に四季折々に美しい花が咲き乱れる趣のある寺院です。京都では西の御所とも呼ばれ愛されています。また、多数の国宝や重要文化財建造物がたくさんあります。
境内を散策するだけでも、重要文化財である大方丈(おおほうじょう)などをはじめ、歴史の風情に触れることができます。
ゆっくり時間をかけて巡るのであれば、退蔵院(たいぞういん)や大心院(だいしんいん)、桂春院(けいしゅんいん)などを巡り、さまざまな体験ができます。
退蔵院では、枯山水庭園「元信の庭」の拝観と「法話、坐禅指導」の体験ができます。
大心院本堂の南庭「切石の庭」は、苔地と白砂の州浜型の地割があり、白砂の上に一直線に整然と敷かれた切石が美しい庭です。また、方丈東庭「阿吽庭」は作庭家・中根金作による築山式枯山水庭園で、三尊石を中心に、苔地と白砂が美しい庭となっています。石を仏、菩薩と見立てたこの庭園は「第二の本堂」とも呼ばれています。
桂春院はこぢんまりとした寺院ですが、庭園を含めたその佇まいは四季折々で違った色合いをみせ、とても魅力的です。
ほかにも多くの寺院が敷地内にあり、観光には事欠かない地所となっています。
妙心寺派の教え
生活信条
- 一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう
- 人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
- 生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう
信心のこと
- わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう
- 衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう
- 社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう
禅の教え「門より入るものは、家珍にあらず」
「禅」とは「心」の別名です。外から入ってくるものに答えを求めるのではなく、内にある清浄なる心に気付くことが第一義であり最も大切なことであると定めています。
妙心寺では禅道場、写経体験、法話などを通じて「禅」の世界に触れながら、自分自身を感じることができます。
《墓所案内》妙心寺塔頭 福寿院墓地
大本山妙心寺の山内寺院(塔頭)である福寿院では、臨済宗妙心寺派の方式で法要を執り行いますが、建墓については他宗派(在来仏教13宗派)でも可能です。一般墓所だけでなく、後継ぎのない方や残された親族に心配をかけたくない方のための合祀墓も用意されています。
一般墓所は、檀家の場合、墓地・墓石代・工事代・彫刻料を含めて135万円から使用できます。また、永代供養は「福寿観音」への合祀で、1霊位あたり28万円から使用できます。
《墓所案内》妙心寺塔頭 養徳院霊園
妙心寺の塔頭の一つ、養徳院。区画もあり、妙心寺山内に立地するため電車・バスのアクセスは非常によく、車でのお参りもできます。また、園内は境内のみだけでなく、お墓の枯れ花も手入れをしてもらえるため安心して建墓できます。
宗派不問でお墓を建てることができ、永代供養墓は35万円から使用できます。
《墓所案内》妙心寺塔頭 天球院
妙心寺山内の塔頭である天球院には、狩野山楽・山雪父子の作とされる襖絵(重要文化財)もあり、周辺環境も含め厳かで静かな寺院です。
在来仏教であれば宗旨・宗派問わず建墓することが可能で、一般墓所は1聖地あたり100万円(管理料12,000円)から使用できます。
《墓所案内》妙心寺塔頭 隣華院
隣華院は、江戸時代に入るわずか前の慶長4年(1599年)に創建され約400年の歴史を持つお墓です。賤ヶ岳七本槍で名高い脇坂安治(わきさかやすはる)を始めとする同家累代の墓所として建てられました。脇坂家歴代藩主のほか、龍野藩士、上杉景勝室(菊姫)、幕末から明治中期にかけての剣術家旧久留米藩士・松崎浪四郎などが眠る由緒ある墓地となっています。
一般墓所のほか、永代供養墓「佛心塔」もあり合祀もできます。永代供養は合祀35万円から、骨壺安置は50万円から利用することができます。
東京にある妙心寺派のお墓をご案内
臨済宗妙心寺派 圓通寺 普同塔
臨済宗妙心寺派 圓通寺は、境内に緑が非常に多く、東京都文京区の保護樹林地域に指定されている緑に囲まれた明るい環境の寺院墓地です。
都営三田線「千石駅」、東京メトロ南北線「本駒込駅」、JR山手線「駒込駅」の3線3駅を利用できるだけでなく、都心にありながらも駐車場完備となっています。
合同供養墓は30万円、年間5,000円の管理費で利用できます。
臨済宗妙心寺派 天龍院
臨済宗妙心寺派 天龍院は、寛永7年(1630年)神田に創建し、元禄14年(1701年)当地へ移転した歴史ある寺院墓地です。
東京メトロ千代田線「千駄木駅」、JR山手線および京成本線「日暮里駅」から徒歩10分圏内とアクセス良好です。
一般墓所は面積によって永代使用料が異なり、90万円から使用できます。ただし、護持会費として年間1万円を納める必要があります。
まとめ
妙心寺は歴史ある建物と、広大な敷地に添えられた四季折々の花を楽しめる趣深い寺院です。
荘厳な雰囲気の墓地をお探しの方は是非一度見学に訪れてみてください。寺院の魅力を存分に味わえるでしょう。