霊園入口に「ガッツ家の墓」の案内看板が建つ
ガッツ石松の生前墓が栃木県鹿沼市の「さつき霊園」にある。
「さつき霊園」は、東武鉄道日光線の樅山駅から車で約5分、新鹿沼駅からは車で約10分の距離にある。「さつき霊園」の入口には「ガッツ家の墓はこちらです」と書かれた看板があり、看板に記された指先の印を見ると黒御影石の大きな墓がある。それがガッツ石松の生前墓だ。
霊園に故人の墓の場所を指示する看板があるような芸能人は、石原裕次郎、力道山、越路吹雪など、今までいくつか見たことがあるが、生前墓にそうした看板を立てている例はこのガッツ石松の墓以外、思い当たらない。
ガッツ石松の個性が反映されたユニークなデザイン
しかも、その墓がまたユニークだ。真ん中の墓石には「ガッツ家の墓」と堂々と彫られ、しかもその下にはガッツ石松の顔と「OK牧場」の文字。墓に向かって左にはガラスケースの中のボクシンググローブとチャンピオンベルト、その下に戦績。さらに、賽銭箱。
そして、墓に向かって右には地面から這い出たボクシンググローブと、「生きているうちに親孝行をしろ!」と説くガッツ石松の心に沁みる熱き想いがつづられた石板が置かれている。
思えば、ガッツ石松は1970年代にはプロボクサーとして活躍。世界チャンピオンを5度も防衛している。ライト級という階級を考えると凄いことである。
そんなガッツ石松にもボクシング引退の時が来る。スポーツ選手の宿命だ。それからガッツ石松は役者に転向した後、強烈な個性を生かしたテレビタレントとしても、いわゆる「馬鹿」を演じ人気者になるのである。まるで映画「レイジング・ブル」の世界だ。
未来永劫伝えられるであろうガッツ石松伝説
後にガッツ石松伝説として語られる「馬鹿」エピソードには、こんなものがある。タクシーの運転手に道を教える時に「運転手さん、そこ右に左折して」と言った。急ぎの時には「電車の先頭に乗る」。「僕はボクシングと出会って人生 が360度変わりました」と言った等々、数え上げたらキリがない。
子供の頃は、母親泣かせのヤンチャなガキが一人で東京に出てボクシングに出合い、世界チャンピオンにまで上り詰め、その後、苦労をしながらテレビタレントとして成功するという人生。
あるテレビ番組で、「親以外の他人は決して助けてはくれない」と言うガッツ石松を見たことがあるが、その時のガッツ石松の目は笑ってはいなかった。この人はずっと世間と戦ってきたに違いないと確信した。
おそらく、100 年後にこの墓を訪れた人は墓に彫られた「OK牧場」の意味が分かるのだろうか?などという冷笑に満ちた世間の目を織り込み済みで、ガッツ石松は、この墓を作ったに違いない。
彼は決して「馬鹿」ではない。逆に自分を「馬鹿」にして笑っている世間を冷静ににらみ返し続けたプライドの人であることをこの墓は物語っている。