覚王山 日泰寺 – 日本唯一の超宗派寺院、見どころ/墓所・納骨案内

覚王山日泰寺 本堂
覚王山日泰寺 本堂

名古屋市千種区覚王山にある「覚王山 日泰寺(かくおうざん にったいじ)」は、日本で唯一、いずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院です。タイ王国から日本へ贈られた「仏舎利(釈迦の遺骨)」を安置するために建立された日泰寺ですが、今回はその特徴や成り立ち、境内の見どころや周辺のおすすめスポットなどをご紹介しながら、その魅力に迫ります。
また、名古屋の名家や著名人が眠る日泰寺の墓所・納骨・永代供養についてご案内いたします。

覚王山 日泰寺とは

「覚王山 日泰寺」は、どの宗派にも属していない「超宗派」の寺院として、すべての仏教徒を受け入れてくれる日本でただ一つのお寺です。
タイ王国から寄贈された「真舎利(お釈迦様の遺骨)」を安置するために創建されました。山号である「覚王」はお釈迦様の別の呼び名で、寺号の「日」は日本、「泰」はタイ王国を意味しています。境内にはタイ王国の国旗が掲げられ、駐日タイ王国大使が毎年参拝に訪れるなど、日本とタイ王国の強い結びつきを象徴するお寺となっています。
寺院運営にあたっては、現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職をつとめ、各宗の代表が役員として日常の寺務に携わっています。そのため、住職によって異なる宗派のお経をあげることもあります。

日泰寺の成り立ち

1898年(明治31年)、インド北部のピプラーワーでイギリス人の研究家ウイリアム・C・ペッペによって水晶製の舎利容器が発掘され、古代文字の解読の結果、それが「真舎利(しんしゃり)」であると判明、その後インド政府から仏教国であったシャム王国(現在のタイ王国)へと譲渡、タイ王室に寄贈されました。

「真舎利」とは、仏教開祖である「釈迦(ゴータマ・シッダルータ、お釈迦様)」の遺骨・遺灰などを指す言葉。「仏舎利」とも言われるが、仏舎利は経典や遺骨に見立てた宝石や貴石を指す場合もある。

タイ王室は「真舎利」を、仏教を信仰する国々に分けることとし、日本へもその遺骨の一部が贈られることが決定しました。特定の宗派に属さない超宗派寺院を建立して真舎利を安置することを約束し、候補地選びが行われる中、名古屋市民の誘致運動によって現在の地に10万坪の敷地が用意され、新寺院が創建されました。
創建時は、日本とシャム(暹羅)王国の友好を象徴して「覚王山 日暹寺(かくおうざん にっせんじ)」と命名されましたが、後にシャム王国が国名をタイ王国へ変更したタイミングに合わせて、寺号も変更され「覚王山 日泰寺」となりました。

その後、第二次世界大戦の名古屋空襲で焼失してしまったため、文化財指定されている「奉安塔」「奉安塔礼拝殿・通天門・土塀」「鳳凰台」「草結庵」以外の本堂や五重塔、普門閣などほとんどの建物は戦後再建されたもので鉄筋コンクリート造りになっています。また境内の広さは、創建当時約10万坪あったものが現在では約4万坪になっています。

日泰寺の見どころ

以下では日泰寺境内の見どころをご紹介します。日泰寺の開門時間は5:00~17:00です。
また、本堂内の納経所にて御朱印帳に御朱印を書いていただくこともできます。受付時間は9:00~14:00までとなっています。

奉安塔【県指定文化財】

1918年(大正7年)に完成した「奉安塔」には、「真舎利(お釈迦様の遺骨)」が安置されています。また、奉安塔前の「礼拝殿」も県指定文化財となっており、こちらでは法要が執り行われます。

覚王山日泰寺 奉安塔

覚王山日泰寺 奉安塔

本堂

荘厳さを持つ現在の本堂は1984年(昭和59年)に再建されたものです。
入口周辺には、高さ3mにもなる「菊承露」「蘭染煙」と書かれた日本とタイ王国の友好を表現した書が飾られています。
本尊として、タイ国王チュラロンコン陛下から贈られたタイ国宝の「金銅釈迦如来像」が祀られており、正面には、タイ国王プミポン陛下直筆の勅額一面が掲げられています。タイ文字で「釈迦牟尼仏」と記され、両側にはプミポン、チュラロンコン両陛下の紋章が輝いています。
本尊の両脇には、高山辰雄画伯によるお釈迦様の大壁画があります。

覚王山日泰寺 本堂

覚王山日泰寺 本堂

国王チュラロンコン像

国王チュラロンコン像は日タイ修好百周年記念として、1987年(昭和62年)に本堂前に建立されました。銅像の前にはタイの花・海江豆(かいこうず)が植えられていて、毎年5・6月には見事に咲き誇る鮮紅色の花を楽しむことができます。

五重塔

1997年(平成9年)に建立された高さ30mの五重塔です。塔内では写経が納められています。

覚王山日泰寺 五重塔

覚王山日泰寺 五重塔

大書院「鳳凰台」【市指定文化財】

1927年(昭和2年)に完成した大書院「鳳凰台」は、大広間2室(44畳敷、36畳敷)と控座敷4室(15畳敷、12畳敷、10畳敷、8畳敷)からなる客殿で、伝統的な美しい和風の建築意匠を継承しながら、屋根の構造を洋式の木造合掌組とするなど新しい技法が加えられた建築となっています。

茶室「草結庵」【県指定文化財】

別名「太郎庵」とも呼ばれる、江戸時代天明年間の建築です。この茶室は、もと長栄寺にあったもので、当時は「貴人席」と俗称していたといわれています。切妻造の平屋で、屋根は銅板葺に一部こけら葺の庇がついており、壁は名古屋における刷毛目塗壁の最初とされています。

覚王山周辺の観光スポット

日泰寺の門前町である千種区覚王山では、毎月21日に「弘法縁日」があり、境内から参道600mにわたって多くの露店と参拝者で賑わいます。また、春・夏・秋には参道で「覚王山祭」が開催され、終日盛り上がりを見せるなど、覚王山 日泰寺は信仰の面だけでなく、人々の暮らしにも根付いています。以下では、そんな覚王山の観光スポットをいくつかご紹介します。

覚王山商店街

名古屋市営地下鉄「覚王山駅」の出口から日泰寺山門に続く参道には、たくさんのお店が並び、覚王山商店街として人気のスポットになっています。フランスの焼き菓子「シェ・シバタ名古屋店」や、おしゃれなカフェ「ZARAME NAGOYA」、紅茶とインド料理の「えいこく屋」、みたらし団子「つる屋」などの食事処からおしゃれな雑貨屋さんまで、個性あふれるお店が集まっています。

覚王山アパート

覚王山商店街の一角にある覚王山アパート。昭和の雰囲気が漂うアパートの中には、小さなカフェやアーティストなどの作品を展示販売するお店があり、ここにしかないこだわりの作品を購入できます。

城山八幡宮(末森城跡)

日泰寺からほど近い場所にある「城山八幡宮」は、織田信長の父である織田信秀が築城した末森城跡を境内とする神社です。厄除開運・交通安全・縁結びの大社として多くの人が訪れます。豊かな自然の静けさの中でゆっくりと散歩するのがおすすめです。

揚輝荘

揚輝荘(ようきそう)は日泰寺の近くにある、株式会社松坂屋の初代社長が建てた別荘です。北園と南園があり、古き良き建築物に出会えます。建物内の見学ができたり、美しい庭の散策を楽しむこともできます。

《墓所案内》覚王山 日泰寺

日泰寺の境内、東側の丘陵地には、2万5千坪にもなる広大な敷地の墓所があります。日当たりが良く、落ち着いた雰囲気で、通路やお墓の周りなども常に手入れが行き届いた墓所には、豊田家一門、松坂屋伊藤家、アパレル事業を展開する滝兵、瀧定など名古屋名家のお墓が多く集まっています。名古屋市内中心部にあり、地下鉄東山線「覚王山駅」より徒歩5分とアクセスも抜群なので、宗旨・宗派問わず多くの方に利用されています。

霊堂/日本初の屋内墓地

1984年(昭和59年)に完成した霊堂は、日本で初めて作られた屋内墓地です。4階建ての堂内には約4,600基の墓石が並んでいます。屋内にあるので雨天でもお参りしやすく、いつも清潔な場所に遺骨を安置することができて掃除や手入れも簡単です。

奉安塔での合祀

日泰寺では合祀(納骨)も行っています。日泰寺に納められたご遺骨は、仏骨(真舎利)をお祀りする「奉安塔」と同じ場所に埋められご供養されます。

日泰寺の永代経(永代供養)

「永代経」とは亡き人を弔うために五十年、百年の永きにわたって読経供養をお願いすることです。日泰寺では毎日お昼12時半に本堂で永代経法要が行われ、お墓を継ぐ方がいなくなっても永代経は変わることなくご供養をします。

まとめ

覚王山 日泰寺は、独特の歴史と新しさが混じり合い、多くの人の憩いの場にもなっている魅力的なお寺です。寺院墓地を探しているという方にもおすすめなので、参拝や散歩に行くその足で、日泰寺のお墓見学もしてみてはいかがでしょうか。