比叡山延暦寺(天台宗総本山)- 日本仏教の母山/1200年の歴史を紡ぐ世界遺産

比叡山延暦寺 大講堂
比叡山延暦寺 大講堂 - by photolibrary

日本仏教の母山とも称される、天台宗総本山「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」
天台宗の開祖・伝教大師「最澄(さいちょう)」により開かれ、名だたる名僧を輩出してきた日本有数の古刹です。その1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け、「ユネスコ世界文化遺産」にも登録されています。
ここでは、比叡山延暦寺の歴史とその教え、見どころなどをご紹介。また、延暦寺にあるお墓のご案内をしています。

日本仏教の母山「比叡山延暦寺」

滋賀県大津市の西部から京都府京都市の東部に跨がる山地「比叡山」、その山上に、天台宗の開祖・伝教大師「最澄」が開いた「延暦寺」があります。

比叡山は日本仏教を語る上では欠かすことのできない存在です。また、百人一首でも比叡山は「世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」と詠まれ、日本一の山と崇められています。そんな比叡山に座する天台宗の総本山、それが延暦寺です。

「延暦寺」とは単独の堂宇(どうう、お堂などの建物のこと)の名称ではなく、比叡山の山内1,700ヘクタールもの境内に点在する約100の堂宇の総称です。比叡山の山上から東麓にかけて「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」という3つの地域に区分され、これらを総称して「三塔(さんとう)」または「三塔十六谷」と呼ばれます。三塔にはそれぞれ本堂があり、いずれの地域も見どころが多くあります。
なお、比叡山は最盛期には三千を越える寺社で構成されていたと言われています。

 

比叡山延暦寺は世界の平和と平安を祈る寺院であり、さらには国宝的人材育成の道場でもあります。過去には、阿弥陀聖と称される空也、浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の開祖・親鸞、臨済宗の開祖・栄西、曹洞宗の開祖・道元、日蓮宗の開祖・日蓮、時宗の開祖・一遍など、日本仏教界の名だたる名僧を輩出しています。日本仏教各宗各派の祖師や高僧を多く輩出していることから、比叡山は「日本仏教の母山」として仰がれています。

比叡山延暦寺 – 東塔(とうどう)

「東塔」は伝教大師・最澄が延暦寺を開いた発祥の地で、延暦寺の総本堂である「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」を中心とする区域です。根本中堂をはじめ、各宗各派の宗祖を祀っている「大講堂」や、先祖回向のお堂である「阿弥陀堂」など重要な堂宇が集まっています。

根本中堂【国宝】

根本中堂は、最澄が建立した一乗止観院の後身で、延暦寺の総本堂となります。本尊は薬師如来で、本尊の前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」が安置されています。現在の建物は織田信長による焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたもので、1953年(昭和28年)に国宝に指定されています。また、廻廊は国重要文化財となっています。

延暦寺 根本中堂

比叡山延暦寺 根本中堂 – by photolibrary

大講堂【重要文化財】

寛永11年(1634年)の建築で、もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂でしたが昭和39年(1964)に移築され、国重要文化財に指定されています。本尊は大日如来で、本尊の両脇には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像(向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍)が安置されています。また、外陣には釈迦を始めとして仏教や天台宗ゆかりの高僧の肖像画がかかっています。

比叡山延暦寺 大講堂

比叡山延暦寺 大講堂 – by photolibrary

比叡山延暦寺 – 西塔(さいとう)

「西塔」は東塔から北へ1kmほどのところにある区域です。西塔の本堂であり、国重要文化財に指定されている「釈迦堂」や、伝教大師・最澄上人の御廟所である「浄土院」、修行のお堂である「にない堂」などがあります。また、研修道場である「居士林」もあり、そこでは修行体験をすることもできます。

釈迦堂【重要文化財】

西塔の本堂にあたる釈迦堂は、正式名称「転法輪堂(てんぽうりんどう)」といい、延暦寺に現存する建築では最古のものです。もとは三井寺の園城寺の金堂でしたが、文禄四年(1595年)に豊臣秀吉が西塔に移築させました。本尊として釈迦如来立像(国重要文化財)が安置されています。

延暦寺 釈迦堂

比叡山延暦寺 釈迦堂 – by photolibrary

浄土院【重要文化財】

開祖・伝教大師「最澄」の御廟があり、山内でもっとも神聖な場所とされる「浄土院」は、東塔地域と西塔地域の境目にあります。ここには十二年籠山修行の僧がおり、開祖・最澄が今も生きているかのように食事を捧げ、庭は落ち葉1枚残さぬように掃除されています。

延暦寺 浄土院

比叡山延暦寺 浄土院 – by photolibrary

にない堂【重要文化財】

にない堂は、2棟の全く同形の堂が左右に並び、それが廊下によって繋がっています。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから「にない堂」と呼ばれています。正面向かって左が、阿弥陀如来を本尊とする「常行堂」で、右が、普賢菩薩を本尊とする「法華堂」です。

比叡山延暦寺 – 横川(よかわ)

「横川」は西塔からさらに北へ4kmほどのところにある区域です。シャトルバスに乗れば東塔から15分、西塔から10分ほどで着きますが、100分ほどかけて歩いていくこともできます。横川の本堂である「横川中堂」は、まるで船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。また、おみくじ発祥の地として有名な「元三大師堂」などもあります。

横川中堂

舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴的な横川の本堂です。お堂の中央部が2mほど下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩像(国重要文化財)が祀られています。旧堂は国宝指定されていましたが、昭和17年(1942年)に落雷で焼失してしまい、現在の堂は昭和46年(1942年)に再建されたものとなっています。

延暦寺 横川中堂

比叡山延暦寺 横川中堂 – by photolibrary

元三大師堂

元三大師堂は、おみくじを考案したと言われている元三大師・良源の住居跡と伝えられ、おみくじ発祥の地とされています。四季に法華経の論議を行うことから「四季講堂」とも呼ばれます。

延暦寺 元三大師堂

比叡山延暦寺 元三大師堂 – by photolibrary

比叡山延暦寺の歴史と教え

比叡山延暦寺は、平安初期に伝教大師・最澄により開創されました。延暦7年(788年)に最澄が、薬師如来を本尊とする「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」という草庵を建てたのが始まりとされています。なお、開創時の年号をとった「延暦寺」という寺号が許されるのは、最澄の没後、弘仁14年(823年)のことだと言われています。

数ある経典の中でも法華経の教えが最高であると考えた最澄は、桓武天皇の支援を受けて唐へと渡ります。中国では天台山に赴き、修禅寺と仏隴寺で天台教学を学び、また龍興寺では密教を、禅林寺では禅の教えを受けます。元来強く信仰していた法華経の教えを中心に唐で学んだこれらの思想を掛け合わせ、帰国後に「天台宗」を開きました。こうして最澄は、円密一致といわれる日本天台宗の基礎を作りあげました。

比叡山延暦寺は最澄の開創以来、弘法大師・空海によって開かれた「高野山金剛峯寺」と並び、平安仏教の中心となっていきました。
天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行われ、「仏教の総合大学」の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持つことになりました。特に、密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競ったと言われています。

大きな力を持った比叡山延暦寺ですが、戦国時代の1571年(元亀2年)には織田信長によって焼き討ちにあいます。焼き討ちでは比叡山上だけでなく、麓の坂本とそこにある日吉大社、さらには近隣地域の和邇・堅田といった範囲にまで及び、周辺一帯は壊滅的な状態になったといいます。
信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康らによって各僧坊は再建されていきました。総本堂である根本中堂は、江戸幕府3代将軍徳川家光が再建しています。

天台宗の4つの教学

比叡山延暦寺では天台宗の4つの教えを広めてきました。ここではその4つの教えを紹介します。

  • 第一の教え「全ての人は皆、仏の子供と宣言をしました」
    – 誰しもの心の中に悟りを開く種はあり、あとはそれに気付きどう育てるかということが大切であるとする教えです。
  • 第二の教え「悟りに至る方法を全ての人々に開放しました」
    – 悟りに至る道、方法は一つではなく、そこに真実を探し求める心(道心)があれば、それがそのまま悟りに至る道であるという教えです。どのような教えであっても悟りを開くことはできるとしています。
  • 第三の教え「まず、自分自身が仏であることに目覚めましょう」
    – 日々の行いと守るべき規律とを照らし合わせ、道が誤っている場合にはそれを自覚すること。また仏様の前で懺悔し、これからの生き方に活かしていくことを誓い、わが身の中に仏様を迎えようと説いた考えです。
  • 第四の教え「一隅を照らしましょう」
    – まずは自分自身を輝かしい存在とすること。その輝きが周りを照らし、周囲も輝きを持ちます。そうした一人ひとりが手をつなぐことができれば、素晴らしい世界が生まれるという考えです。

比叡山延暦寺の修行

比叡山延暦寺の修行は、さまざまな宗派のそれと比較しても、とても厳しく尊いものと言われています。

修行の一つである「千日回峰行」は、比叡山の峰々を巡って礼拝します。
この修行は計7年かけて行われ、1年目から3年目は、1日に30kmの行程を毎年100日間歩きます。4年目と5年目は、同じく30kmの行程を200日ずつ行います。ここまで5年かけて計500日歩き続けた後、堂入りに入ります。堂入りとは、不動真言を唱え続けながら9日間の断食・断水・不眠・不臥を続ける修行です。堂入りを終え、6年目になると今までの倍である60kmもの道のりを1日で歩き通します。これを100日続けます。最後の年である7年目には計200日巡りますが、始めの100日は比叡山山中だけでなく赤山禅院から京都市内を巡礼します。その全行程は84kmにもおよびます。これを終え、最後の100日は元通り比叡山山中30kmの行程を巡り、満行となります。
このように厳しい「千日回峰行」だけでなく「十二年籠山行」や「四種三昧」など、さまざまな修行があります。

比叡山延暦寺 山道

比叡山延暦寺 山道 – by photolibrary

比叡山延暦寺では、一般の方でも日帰りや1泊2泊などで修行を体験できるようになっています。「千日回峰行」までは体験できませんが、60~90分の短時間体験や、坐禅や写経の体験をすることができます。

比叡山延暦寺への行き方、拝観料など

比叡山延暦寺のその広大な敷地の中には、数多くの歴史的建造物が残されており、山内を巡拝するほか修行体験などを通して仏教の真髄に触れることができる場所です。以下では、比叡山延暦寺への行き方・交通アクセスと、拝観料や拝観時間について説明していきます。

比叡山へのアクセス

滋賀県大津市側からアクセスする場合は、JR湖西線「比叡山坂本駅」または京阪電車「坂本比叡口駅」で江若交通の連絡バスに乗り換え、「ケーブル坂本駅」で坂本ケーブルに乗り「ケーブル延暦寺駅」で下車、そこから徒歩約10分で東塔に到着します。比叡山坂本駅からの所要時間は約40分です。

京都市側からアクセスする場合は、京阪電車「出町柳駅」で叡山電鉄本線に乗り換え、「八瀬比叡山口駅」から徒歩5分ほどのところにある「ケーブル八瀬駅」から叡山ケーブルに乗り「ケーブル比叡駅」で下車します。そこから徒歩2分ほどのところにある「ロープ比叡駅」から叡山ロープウェイに乗車し「比叡山頂駅」で下車、比叡山内シャトルバスに乗って東塔まで行けます。出町柳駅からの所要時間は約50分です。

車で行く場合は、京都方面または大津方面から「比叡山ドライブウェイ」を使って登っていくか、琵琶湖大橋・おごと温泉方面から「奥比叡ドライブウェイ」を使って登っていきます。

拝観料・拝観時間

比叡山自体は自由に立ち入ることができますが、延暦寺の諸堂を巡拝するには以下の拝観料(巡拝料)がかかります。

  • 東塔・西塔・横川共通券:大人1,000円、中高生600円、小学生300円
  • 国宝殿(宝物館):大人500円、中高生300円、小学生100円

拝観(巡拝)できる時間は、東塔地区は8時30分~16時30分(12月は9時~16時、1・2月は9時~16時30分)、西塔・横川地区は9時~16時(12月は9時30分~15時30分、1・2月は9時30分~16時)となっています。

《墓所案内》比叡山延暦寺大霊園

滋賀県大津市にある比叡山延暦寺大霊園は、約1200年もの歴史を持ち、日本仏教の母山である比叡山延暦寺が管理する唯一の霊園です。12,000区画を誇る非常に大規模な霊園で、宗派を問わず建墓することができます。春には見事な桜が咲き乱れ、園内の百三十三観音が墓所を見守っています。