【アジアの聖地から】アンコールトム・バイヨン寺院は戦乱後の首都復興の象徴(カンボジア)

いいお墓の連載企画「アジアの聖地から」の第1回記事。アンコールトム・バイヨン寺院を紹介する

世界文化遺産アンコール遺跡群にある、仏教とヒンドゥー教の混合寺院、アンコールトム・バイヨン寺院。周囲に微笑みかける巨像郡のふもとで、音楽を奏でる男たちと出会いました。

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戦乱からの復興を象徴する混合宗教寺院

バイヨン寺院の石像

カンボジアに存在するバイヨン寺院の石像

カンボジア観光の玄関となるシャムリアップ空港。そこから車で20分ほどの場所にアンコールトム遺跡があります。カンボジアと言えば世界中の観光客を魅了するアンコールワットが抜群の知名度を誇りますが、ここアンコールトムの壮大さも引けを取りません。

アンコールは「町、都市」、そしてトムは「大きい」という意味で、この名が表す通り、アンコールトムは周囲12km、東京ドーム60個分という、アンコールワットの4倍もある巨大都市だったのです。

この都市の中心に位置しているのがここバイヨン寺院。仏教に深い信仰を持つジャヤーヴァルマン7世国王が12世紀末ごろから建立を始めました。それは繰り返される戦乱を統治し、荒廃した首都復興の象徴でもあったのです。

さて、バイヨン寺院は、元々は仏教寺院でしたが、後に王朝にヒンドゥー教が普及しだしたことから、仏教とヒンドゥー教の混合寺院となりました。これは柔軟な対応で宗教対立を避け、平和を維持するためだったとも言われています。

そして必見は“バイヨンの四面像”です。そびえ立つ巨大な石像は50塔もあり、一番高い塔では45mもあります。各塔には観世音菩薩を模した2mもの人面が四方に刻まれ、200個近くもの顔から見下ろされますから、これには圧倒されます。

どの顔も穏やかで “クメールの微笑み”と言われる笑顔で人々を優しい気持ちにさせてくれます。カンボジアの人々はキラキラしたとても素敵な笑顔を持っているのですが、この時代から笑顔を大切にする国民性だったのかもしれませんね。

さて、戦乱を終焉させ、平和を祈り、慈善事業に尽くした王ですが、安泰な時代が長く続くことはありませんでした。戦争、内戦と、カンボジアは近現代まで、争いと植民地支配の歴史を刻むこととなるのです。

地雷根絶への祈り

男性の楽団が軽快なカンボジア民族音楽で観光客を楽しませてくれています。

しかし、近づけはすべての人が障害を持っていることに気付くことになります。手、足のない方。全盲の方もいます。この方々はポルポト政権下での地雷や爆弾の被害者なのです。

カンボジアはこの政権が掲げた原始共産主義思想のもと、国民800万人の四分の一、200万人もが虐殺されるという世界史にも残る悲劇を背負っているのです。そして、それは遠い昔ではなく1970年代、近現代の出来事です。いまだに世界最貧国のひとつである理由はこの惨劇にあり、国家の成長を阻害してきた根源なのです。

カンボジアの最低賃金が1万5,000円程度に対して、この方々に政府から与えられる慰謝料は1ヵ月30$(約3,300円)。それでも演奏に対しての寄付金やCDの売上げは全て地雷根絶のために使うと言います。

「二度と地雷を使うことのないように」「二度と戦争が起きないように」と、世界中の紛争地へ歌いかけているのです。「妻も子もいるから30$じゃ生活できないけど、私たち被害者にしかできない大切なことがある。だからここで毎日がんばってますよ」とお話ししてくれました。